午後の回診。17号室。「シャバに戻りたーい」。首にしこりのある87歳の男性。シャバ？牢獄ではなく自分の家に、ということらしい。診療所が牢獄？そう写るようだ。家はもうない。ご夫婦で老人施設に転居していた。男性、夜中から朝にかけて覚醒し大きな声が出、点滴台をひっくり返し、ドアを叩き、本人も頭を打ったりする。施設でも同じようなことあり、困った奥さんが牧師さんに相談した。牧師さんが診療所を紹介した。二人とも洗礼を受けていた。
シャバ（娑婆）で中学や高校の同級生たちに会い、居酒屋で一杯飲み、昔の思い出や現代社会を批判し、スマホの孫の写真見せ合い、カラオケに行く。「アレをもう一度したい」。根っからの話し好き。シャバを恋う別の理由もあった。「マミーに会いたい」。マミー？。奥さんのこと。奥さん、毎日面会に来ていた。「ずっと居て欲しい。シャバなら一緒におれる」。老人施設の2人部屋から1人部屋へ移るので奥さんは忙しい。長時間の滞在が難しい。男性、スマホで友だちと電話する時、別人のような柔和な顔になる。「そうか、ふーん、なるほどー、分るわー。体調？俺の？今年いっぱいかなー」。
奥さんが見えた。男性は手を取る、放さない。帰る前、奥さんは耳元で讃美歌を歌う。「いつくしみ深き友なるイエスは、罪とが憂いをとり去りたもう・・・」。彼は静かに聞く。もう一度手を握り別れを惜しむ。夕方訪室すると寂しそう。「シャバに出たい。マミーに会いたい」、か細い声。ぼくは元気づけようと「全国シャバ協会々長として、勇気をもってシャバを目指そう」と檄。男性はキョトンとした顔。それからニヤッとして「ヨシッ、シャバ協会だー、シャバを目指すぞー」と瞼閉じたまま拳を上げた。 |
