徳永進_エッセイ

野の花あったか話



第２９３回　　　麒麟獅子がきた




	カーン、カーンと鉦の音。ピーヒョローと笛の音。５月の土曜日の夕方、獅子舞が町内を回ってきた。コロナ感染症の流行で診療所の近くの大きな神社の祭りも毎年中止。「夕方５時30分、参りますのでー」と赤い衣裳で身をまとった人が予告にきた。カーン、カーンが近づいてきた。金色の顔に金色の一本角、真黒な大　きな眉毛、白い御幣の付いた真赤な布に覆われた麒麟獅子が２階のラウンジにやってきた。５年振り。笛を吹く人、踊る獅子を操る２人、合わせて３人で演じる。例年もう1人いる道化役の猩々(しょうじょう)が今年はいない。　静かな舞いに気迫が混じる麒麟獅子がぼくは好き。何か主張してるかというとそうでもない。目出度いか、というとそうでもない。ちょっと恐い。魔除け？それはあるかも知れない。目には見えない魂や霊の世界に通じるものがある。ラウンジに車椅子で何人かがいて、ベッドに寝たきりの人とその家族の人がいた。　看護師に事務員に厨房の人もいた。笛や鉦の音はいい、舞はいいぞ、祭りいいなあ、と思った。　「わし、この神社の氏子ですのにこんな獅子舞、初めて見ました」と車椅子の人。ベッドの人は病気が重く意識がない。獅子が大きな口でその人の頭を咬む。「お父さん、獅子に咬まれたら病気治るよー、分かるー？」と娘さん。横にいた小学１年生の男の子に「あんたも咬んでもらお、良い子になろうー」。　獅子は病室を回ってくれた。「これはこれは」と手を合わせる人、「何ですか今日は？」ときょとんとする人。「わし、腰が痛い、腰咬んでもらお」。「うれしい、但馬地方にもこの麒麟獅子があって、長いこと会うとらなんだあ」。　鉦の音が外に出て、後を追って笛も獅子も診療所を出て行った。


	（ 2023年5月29日朝日新聞掲載。2023年5月24日記)

	★この原稿は、朝日新聞鳥取県版連載の『野の花あったか話』（徳永進）のオリジナル原稿を、サイト収蔵保存のため再録したものです。

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