坂道を上がった角の家。「おじゃまします、診療所ですー」、「はーいどうぞ」。87才の患者さんは玄関すぐ横の部屋の介護用ベッドに寝ていた。「お母さん、先生よ」「あ、よろしくー」。紹介状には膵頭部腫瘍、治療の適応なく本人には未告知、とある。今ごろ未告知は珍しい。「私、家がいいです。病院は嫌いです」「病院好きな者、おらんわ」と娘さん。痛みや食欲、便通、睡眠のことを尋ねる。「薬も好きじゃありません」、「って言っても飲まんといけん薬もあるでしょ！」。「この娘キツインです」「誰が育てたのー」とバトルが続く。親子のやりとりがオープンで、却って心地いい。
２回目の往診。「ちはー、郵便局ですー」とおどけてみた。娘さん慌てて出てきて、「なーんだ、先生―」。「ははは、先生、面白い。私、先生好きー」。３回目の往診は娘さんの怒り炸裂。患者さんはカニが大好き。カニ食わせたろっ、と娘さんスーパーに走った。値段見て驚いた。「こんな小さいのが一匹650円、３年前３匹で1,000円。知らんわ！」。代わりに安かったカニ味噌買って食べさせたら下痢。「ゴメン母ちゃん」と謝った。
「先生、あとどのくらい？私、最後まで家がいい」「ええ、冬至越え、クリスマス越え、天城越えで年越えましょう」「ははは、先生好きー、ユーモアある」。「家で見たります、終いまで」と廊下で娘さん。この母子ならやっていけそう。「好きー」には参った。２ヵ月が過ぎた。
12月中旬、黄疸が出た。日に日に衰弱された。冬至の柚子、クリスマスのケーキ、除夜の鐘は間に合ったがお正月のお餅には届かず。「先生、いけませんかー？ようがんばったっー、母ちゃんー」。元旦の夕暮れの５時、娘さん、ぽっつり。 |
