夜中の２時、枕元の携帯。呼吸が止まったのは郊外の家で過ごしていた74才の男性。野坂川に沿って真暗な農道を走る。今まで交わした会話の数々を思い出す。
「病院で抗がん剤にやられる、と思った。食べれんし逃げた」。初めて往診した時の台詞。「助けてもらっとってー」と奥さんが叱責する。「家はええ。お前の顔見とると落ち着く」。二人暮らし。「先生、ひと月もたまい？」うーん。「分からんわ先生だって。」と奥さん、助け舟。
往診のたびに復活された。好きな食べ物を聞いてみた。「イカは咬み切れん、カニは手が汚れる、エビは匂いがくさい」と魚介類、一刀両断。「肉も好かんなー」。「納豆は？」の時は「あんなきたなげなもん、よう食うなあ」。「この人、文句ばっかり。文句の天才。あっ、玉子かけご飯は好きです。助かります」と奥さん。お酒について聞いた時、日本酒、焼酎、却下。ビールは好き。「飲んでいいか？」と聞かれ「350ダメ、250ダメ、135㎖のみ」と許可した時のことを思い出した。奥さんが小さな缶をスーパーで見つけて食前に出すと「何だこりゃあ、ヤクルトだ」と二人で笑ったんだった。
家に着くと訪問看護師が先に到着して、お別れの水にあのヤクルトが用意してあった。「もうもたんぞ、死ぬぞ、と昨晩言ってました」と奥さん。「綿花で口唇、拭くんですね。泡ばっかり、私らみたい」。診療所からは遠かったが、二人の夫婦(めおと)バトルが楽しみで、ぼくらは通っていた節がある。6ヵ月、予想をはるかに越えて健闘された夫婦に敬意を覚え、一礼して家を辞した。
帰り道、車を止めて外に出た。冷えて澄んだ夜空にたくさんの星。西に木星、真上に火星、東にオリオン。冬の三角形も闇夜にくっきり。 |
