回る丸椅子の上に地球儀のような球がある。どの位置で見るかで姿は変わる。言葉も球。丸椅子の上に「母」という球を置いてみた。
「母、お世話になります」と65才の息子さん。誤嚥性肺炎で入院した88才のお母さんを気遣う。認知症あり食欲は低下、発語なく、衰弱進む。点滴のおかげで３ヵ月後には落ちつく。家での介護難しく、近くの老人施設のお世話になった。「助かります」と息子さん。お母さんは昔から外来に通って来てくれた人。多くを語らず物静か。表情温和。ぼくが老人施設に往診することになった。「どうでしょう、母」と、息子さん時々電話。無事を伝えた。週に３回、息子さんは洗濯物を取りに施設へ。
１年近くが経ったころ、患者さんは限界を迎え、診療所に入院。「お母さーん、分かりますかー」。やさしい声。入院となってからは毎日、朝と夕に顔を見せ、週に３回は洗濯物を取りに。息子さん親孝行。今年の夏のはじめのお昼過ぎ、お母さんは静かに亡くなった。息子さんもそばにいた。「ご苦労さまでした」と二人を労(ねぎら)った時だった。
「母には苦労しました」と息子さん。「父は厳しい人で母を叱るんです。すると母はぼくらを叱るんです」「母はズルイんですよ。父に命じられたこと、ぼくらにさせるんです」。母の悪口？「掃除とか買い物とか。優しいとかいう感じはなかった」と亡くなったお母さんの前で話された。お母さんは黙っていい顔。「片付けができない人で、家はゴミの山。施設に入所した時片付けしたら、４ｔ車３台分」。話しながら息子さんも笑っていた。それ以上聞くのはマズイと思って、話題を変えたが、息子さん、なんだかすがすがしそう。丸椅子の上の「母」の球がコトッと滑りそうになった。 |
