「先生ですか、青木さんの奥さんの方が大変です」とヘルパーから電話が入る。下痢でパジャマとシーツも汚れ、自分で立てないって。
青木家に往診していたのはご主人の方。自分は「患者よ、がんと闘うな」という考えだ、とぼくらの診療所を指名された。「だって俺の友人、闘ったけど皆死んだ」とカラッと。仕事は獣医。北海道で馬の畜産に努めた。「出産が大変なんだよ。俺背高いし腕長いから足何とか引っ張りだせる。牛？足の長さ違う、楽」。話好き、話上手。ヨコのベッドに妖精のような奥さんが横になってる。「この人面白い、昔から。私大好き。愛してる」。言葉が簡素。「北海道、いい。知床、最高」。先生は北海道余市のニッカウヰスキーの話を始める。イギリスのスコッチウイスキーへと広がる。「飲みたいですけど、体が体だから」。
先生は直腸がんで人工肛門。自分で管理。腫瘍は臀や鼠径部にボコボコと転移。時々大出血。貧血が進む。点滴や輸血をする。「こりゃいい。力が戻ってきた」。難局を幾度も乗り越える。「すごい、がんばる。この人高校生の時、プロ野球からスカウト来たの」。すごい。「ポジションは？」と聞いた。「ピッチャー」。「まるで大谷翔平ですね」と言うと先生、「とんでもない。彼はすばらしい、体も顔も態度も」と絶賛。「あなたも」と奥さん。
ヘルパーの電話を切って駆け付けた。「診てやってー、俺より食べないし飲まないんだよ」。奥さんはやせてぐったり。熱中症＋αを疑う。やっとのことで奥さんを抱え、往診車に運び込んだ。玄関で「俺は何とかする、お前、がんばれー、先に逝くなー」。「私死なないからー」と奥さん返す。晩夏の強い日射しがアスファルトの道路を照り返す。
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