徳永進_エッセイ

野の花あったか話



第２４９回　　　「でも」と皆が




	医者には話しにくいことも、看護師さんなら話せる。よくあること。　「17号室のＫ子さん、若くして夫を亡くし、苦労して３人を育てられたそうです」と担当看護師。90才のＫ子さん、５年前の手術以来たくさんの治療を受けてきたが、末期となった。胸水も腹水もある。　２人の息子と１人の娘に病状を説明する。息子たちは忙しい。娘はＫ子さんのそばにいつもいてあげたい。娘に夜通しそばにいてもらうことにした。看護師が言う。「娘さん、総合病院で病名告知、厳しい余命告知を受けられたそうです。頭では分かっているのに、でも、一日でも長くって必死に言われます」。　15号室には65才のＳ男さん。元ヘビースモーカーでお酒も大好き。肺は荒廃化し腫瘍も増大化。「VSOP飲みたい、末期(まつご)の水だあ」と若い男性看護師に叫んだ。看護師、慌てて詰所に戻ってきた。「VSOPってなんですかー」。高級ブランデーの名だよと言うと昼休憩に買いに走った。患者さん、満面の笑みで一口。「お前も一口―」。Ｓ男さんユーモアあり皆を笑いに誘う。奥さんが詰所で語ったことがカルテにあった。「長くなくていい、痛くないよう、しんどくないよう、と妻。でも、うちらもう少しいっしょにいたい、とも」。　面会制限のある総合病院から海辺のわが家に帰ってきた68才の寝たきりの男性。「落ちつ、いたら、また、治療も、受けたい。リハ、ビリ、も」と居間で途切れ途切れに話す。呼吸数は50回／分。吸入酸素は４ℓ／分。「２，３日が限界のようです」とぼくはそっと台所で。「分かります。でも、私たちお父さんに毎日会ってたい」と奥さん。「ムリかあー」と居間の方で天井を見上げて男性が叫んだ、と看護師が教えてくれた。


	（ 2022年5月21日朝日新聞掲載。2022年5月19日記)

	★この原稿は、朝日新聞鳥取県版連載の『野の花あったか話』（徳永進）のオリジナル原稿を、サイト収蔵保存のため再録したものです。

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