徳永進_エッセイ

野の花あったか話



第２４3回　　　ハマダイコンの花




	動き始めた沈丁花、みるまに一斉に開花、ほのかな香りが漂う。もっとゆっくり順番に咲いてと願うのは人間の欲。花には花の事情がある。　春彼岸の三連休の最後の休日。午後になって空が晴れ、ちょっくら散歩に。ラッキョ畑のそばの空地にハマダイコンが群生していて、白紫の花びら４つの花がポツリポツリと開き始めていた。通る人なく、そっと花泥棒。病棟に持ち帰って詰所で「病室に一輪、よろしく」と頼んだ。　野の花はどんな花でも病室によく似合う。　15号室の薬剤師さん。81才になって物忘れが進んだ。パーキンソン病もあって小さな転倒を繰り返す。「えっ、私が、転んだ？」と転んだことも即失念。病室におじゃまするとおだやかな顔で「あっ、先生」と笑う。「わざわざこんなところまで来ていただいて」と続く。病室は自宅の居間に置き変わっている。「きょくー、しょくー、です」。「恐縮です」とおっしゃってる。その部屋に一輪の花を届けた。「綺麗ですね、この花、可愛い」。花の名をお教えする。「えっ、大根？浜大根？」。掘ると野生の小さな大根がくっついてます、と言うと、「へえー、小根？」と返ってきた。認知症と言いにくい。小根のおろしで鯵(あじ)のタタキを食べると辛味が効いておいしいと言うと、「キュッと一杯、いいですね」。隣りの病室には昼前に救急車で運ばれたがんの老女がいる。ハマダイコンの一輪が壁に掛けてあった。老女は眠っている。　詰所で連休明けの各種指示を書いていると、「これ」と４号室の血液病の患者さん、即座に描いた白紫の花の水彩画を届けてくれた。回診するとどの部屋にも目立たぬ所に花一輪。ハマダイコンが患者さんを見守っている。


	（ 2022年3月26日朝日新聞掲載。2022年3月22日記)

	★この原稿は、朝日新聞鳥取県版連載の『野の花あったか話』（徳永進）のオリジナル原稿を、サイト収蔵保存のため再録したものです。

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