この診療所のこと、知り合いから聞いてきました、という患者さんもある。入院になると、元の病院からの紹介状、を読みながら家族と話し合う。「この人なーんも言わん人で、病院に行ったら手のつけようがないって」と奥さん床を見る。本人の職業を知り、口が重い理由が分かった気がした。73才、寝たきり、警察官。
病室で聞いた。「痛みは？」「ありません」。「食欲は？」「ありません」。「夜眠れんことは？」「ありません」と天井を見る。こんなＱ＆Ａでは、何も深まらない。自分の言葉で語ってもらうって難しい。「現役のころの苦い思い出ありますか？」と聞いてみた。「あります」と視線がこっちに向いた。「犯人、逃した」。何の犯人だろう。「傷害？薬物？」「いや、泥棒です」「強盗？」「いや、賽銭泥棒」。「嘘つかれ、追いつめてたが取り逃した」。とってもくやしそうだった。
２週間が過ぎた日曜日、奥さんが面会に来た。ラウンジで最近の様子を説明した。忍耐強い人ですね、と感想を言うと、「生真面目な人です」。雑談してると奥さん、こんな話しをした。県内の温泉街にスト〇〇プ劇場があったころ、捜査に入った。仲間は浴衣姿で観光客を装う。芸が一線を越え逮捕となったが、後で経営者が言った。「一人、視線が真っすぐなのがいて、ヤバイと思った」。別の日のことを思い出した。「仕事で思い出深いことは？」と聞くと「成田空港の開設闘争（三里塚闘争）の時、成田に出動しました」と言って、布団の中からサッと手を出し敬礼した。細い腕と手がスーッと一直線。凛とした顔だった。
「これ飲ませていいでしょうか？」と奥さん。手作りの具なしミソ汁。「一口飲みたいって、メールで」。それを持って２号室に向かわれた。
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