徳永進_エッセイ

野の花あったか話



第２３１回　　　宇宙船の２人




	意志を貫くって難しい。　76才の男性が診察室に。顔は蒼白、やせてる。おなかは張っている。ＣＴを撮る。病巣がいくつも描出された。予後は１ヵ月か。「病院に紹介しますか？」「ここがいいです」。「ここに入院？」「いえ、家がいいです」。翌日から在宅訪問始まる。　「お粥少し、ミソ汁少しだけです」「点滴しましょうか？」「いや、しません」と男性と妻。一畳の台所、続きの二畳の間に布団が敷いてある。妻ももぐり込める。ギュッギュッで宇宙船の宇宙飛行士２人、みたいだ。別の日「食べました」と２人は嬉しそう。豆腐に大根ナマスにチキンラーメン。その後食べられない日が増えた。嘔吐も始まる。上半身はやせ足はむくむ。看護師がもう一度尋ねる。「点滴しましょうか？」「点滴は天敵」と妻。玄関の下駄箱の上の額には男性の川柳、「地域の和　まずは近所の　ごあいさつ」があった。　お風呂は嫌い、あっかたタオルで体拭き。「あかじゃ死にませんから」と飛行士ら。「私ら基本何もせず、昔のまま、自然のままがいい」。　１ヵ月が過ぎた。妻が一枚の古い広告を見せた。ウラにペンで「私の意志書」とある。「私は現在元気に暮らしていますが、重病になりましたら、延命治療しない、安楽死を望みます」と男性の細い文字。　フト「入院どうしよう？」と男性。「大丈夫、ワタシ、いるから」と妻。39日目に永眠された。点滴はずぅーとなし。死を告げると、「一曲歌っていいでしょうか、よく２人で歌いました」と妻。「野に咲く花の、名前は知らなーい、だけど野に咲く花が好きー」。お経みたい。ザ・フォーク・クルセダーズの「戦争は知らない」だった。意志貫かれ、宇宙船に「なぜか涙が、涙が出るの—」とかすれた声が流れた。


	（ 2021年6月9日朝日新聞掲載。2021年6月3日記)

	★この原稿は、朝日新聞鳥取県版連載の『野の花あったか話』（徳永進）のオリジナル原稿を、サイト収蔵保存のため再録したものです。

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