西の空に細い二日月、東の空に木星が戻ってきたころ、背の高いダンディーな70才の男性が家に帰ってきた。高カロリー輸液、人工肛門に痛み止めの薬数種類を抱えて。部屋は２階。「イエガイイー」。パソコンもTVもある。家庭菜園の小さな畑が見下ろせる。１週後に39°に熱発。元々の慢性腎不全も悪化した。「エライッ」。長い患い、「家でこのまま？」と妻は迷う。病気はいくつもの分岐点の上に差しかかる。右行くか左行くか、上か下か、そのままか。「総合病院に戻りましょう」と説得。決めかねる時、代理者が決めた方がいいこともある。転院、その病院から妻が電話。「血液透析をと言われ、どうしたらいいでしょう」。夕方家を訪ね、玄関先で対策会議。「受けましょう」と代理者。「はい」と妻。
１ヵ月後、奇跡の帰還。点滴ラインを変えてもらい、一時的な透析を終え、新たに出現した黄疸には減黄のチューブが留置されていた。傷だらけの兵士のようなのに眼鏡の向こうの顔は笑っていた。「ホットシマス」。脚力はなく、２階は無理で介護ベッドは１階に。頭の先には畑。玉ネギが終わり、夏野菜を妻が作る。「今年は蒟蒻(こんにゃく)の芽の出るのが遅くて。伝授の蒟蒻、この人に食べさせてあげたい」。２週が過ぎ、脱水と黄疸とるいそうが進んだ。「コンナハズジャナカッタ」。症状は進み目力(めぢから)は落ちる。「シナセテホシイ」。
このまま家で、痛くないよう、苦しくないように過ごすことになった。訪問看護師は１日に何度も通う。ゼリーも果汁も、水も喉を通らなくなった。亡くなる前日の午後、男性は妻の顔を触りながら言った。「アイシテル」、「アリガトウ」。「私も」と妻。
旅立たれたのは翌朝の7時20分。
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