 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
| 野の花あったか話 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
| 野の花あったか話 |
第２２０回 夫婦それぞれ |
|
|
|
| 「ほんとに、ありがとうございました」とご主人があいさつに見えた。患者さんは60代の女性。重症だった。腹痛があり、モルヒネの持続皮下注とした。痛みは続き、訪問看護師も医者も毎日通った。6日間の手が抜けない日々だった。「娘と、家で見てやれてよかったです」、目に涙。誰もが初めてなのだ。 ９２才の女性。強い黄疸で末期を迎えた。昔は一町歩の田んぼで米を作った。ご主人は町のサラリーマン。女手一つでやり遂げたことが誇りだった。自室の介護用ベッドに認知症のあるご主人がショートステイから帰ってきた。いびきが大きい。女性は耐えた。夫婦なのだ。黄疸は進み食べれなくなった。呼吸も弱くなった。「おい、息が止まったぞ」と女性の死を息子夫婦に報じたのはそのご主人だった。 酒も飲みたい、タバコも吸いたいという末期の男性が、総合病院から破門をくらった。家は無理！と奥さん。ぼくらの診療所に入院した。1ヵ月して「後悔したらいけません、家で見たります」と退院された。家でなら、と思ったのに男性、酒一滴、タバコ一本、口にしなかった。夜の10時、電話が入った。訪問看護師とおうちへ。「いい寝息してるわと思って、私も寝て。そしたら静かになってアレッと思って見たら、止まってたんです」と奥さん、くやしそう。 これは今日の夕暮れのこと。いろんな治療を受け家に戻った70才の男性。熱も落ちつき、24時間点滴で何とかやりくり。尿も出るし、血圧もよかった。「大きな息してー」と聴診器を男性の胸に当てるときれいな呼吸音。奥さんが言った。「あっ、私もいっしょに間違えて深呼吸してました」。患者さん、笑う。今日が71才の誕生日。前庭の深紅のバラが暗闇でも鮮やか。 いろんな夫婦があって、社会はそのそれぞれで支えられる。 |
|
| （ 2020年6月12日朝日新聞掲載。2020年6月9日記) |
|
| ★この原稿は、朝日新聞鳥取県版連載の『野の花あったか話』（徳永進）のオリジナル原稿を、サイト収蔵保存のため再録したものです。 |
|
|
|
| エッセイ目次に帰る | Home へ | ||
 |
| Copyright © 2002 Nonohana Sinryoujyo. All Rights Reserved. |