死が近くなったかも知れん、と思われる患者さんに尋ねることがある。「何かしたいことありますか？」。「急に言われてもなあー」と唸る人もある。「孫に会いたい」「温泉に入りたい」から、「パチンコ行きたい」「タバコを一服」「鮨食いたいなあ」から、「汽車で旅したい」、「歩きたい」、「水ゴクゴクと飲みたい」など、体具合で違う答えが返ってくる。
急峻な錆びた鉄の階段を登った２階の最初の一室に、83才の男性が住んでいる。「まあ、覚悟はできとります」と言われる。病気は進んでいるが、近くの土手を散歩したり、近所の棟上げを見たり、この階段を登り下りしてスーパーに行ったり、洗濯したりできる。仕事は長年、工事現場横の旗振りをしてきた。兄弟や子どもたちとも、もう連絡はない。「わし昔から一匹狼でした」。そう言うとちょっと誇らしい顔をされる。階下にたくさんの植木鉢があり、ビオラや小ぶりのシクラメンに名を知らぬ洋風の花々が溢れんばかりに咲いていた。「ホームセンターで買いました」と狼にしては可愛い。
「何かしたいことありますか？」。「うーん、野生のスミレが見たいですな」。予想もしない答え。里山に行けば地に咲いているはず。届けねばなるまい、と思った。
昼休憩、シャベルを乗せて自転車で近くの神社の裏山へ行った。あった、うす紫の可憐なスミレ。初めて知った、野生のスミレの根の広がり、その深さ。岩に、他の植物の根のすき間に入り込む。なかなか掘り起こせない。取れた、３株。急峻な階段を登り届けた。次の週の往診日、洋花の並びにひっそり置いてあった。「あれ、大事にしてます」と一匹狼の顔がゆるんだ。 |
