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| 野の花あったか話 |
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| 野の花あったか話 |
第１９９回 屋上の腕立て |
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| ４月も中旬を越えた。春の底冷えも緩み始めた。病棟も緊迫の日々が通り過ぎ一段落。 夕方の６時半を回ったころ、誰もいない診療所の屋上に上がった。風はなく、西の空が残照で綺麗。10日月が天空にあった。公園や土手の桜は散ったのに、玄関前の庭から、屋上にまで届く山桜が綺麗。ひとりのボランティアさんががんで亡くなり、偲んで植えさせてもらったもの。上から見下ろすとあふれんばかりの小花をつけていた。 鳥が飛ぶ。小さいコウモリが夕方になると空中の羽虫をエサにするのだろう、何回も旋回。カラスものんびり飛んでいく。遠くの空を、５羽の集団がスピードを上げ横切る。「ピー、ピーヒョロピー」と名を知らぬ鳥がどこかの枝から美声を響かせる。春の夕空は鳥たちで忙しい。 ガタゴトと大きな音が響く。鉄橋を渡るＪＲの特急列車の下りの音。数分後に橙色の上りの普通列車がガタゴト。夕方は線路の音もにぎやかだ。７時前になるといろんな音が鎮まり、穏やかな静寂が広がる。 なんか急にやってみたくなった。白衣を脱ぎ、眼鏡をはずし、小銭入れ、鍵、手帳にスマホをコンクリートの上に置いた。屋上で腕立て伏せを始めた。「いち、に、さん」。コンクリートも春の温かさ。下から強く押し返してくる。自分の歳の数だけやることにしてる。「ななじゅう、ななじゅういち」。 夕暮れは青と茜のグラデーションが一分毎に変化する。 七時を回ると夜空に星が輝き始めた。凧のようにだらしなく広がったオリオン座が西空に。南の空のあっかるい星は冬の三角形のシリウス。東に、うしかい座の春の一等星。冬の星たちは去っていく。 春の夕暮れ、屋上は穏やかな時間に包まれていた。 |
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| （ 2019年4月23日朝日新聞掲載。2019年4月18日記) |
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| ★この原稿は、朝日新聞鳥取県版連載の『野の花あったか話』（徳永進）のオリジナル原稿を、サイト収蔵保存のため再録したものです。 |
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