小柄な志野ばあさんは91才。いろんな病気をしてきた。10年前、狭心症。バイパス術を受けた。「死ぬかと思ったで」。無事に生還。数年後、大腸がんで手術。「死ぬかと思ったで」。そんなことなく無事生還。その３年後、再発し腸閉塞。いよいよかと思われたが、再手術は成功。その後の数年間は無事だったのに、去年の暮れ、鼠径部にがんが転移した。「もう逝きたいわ」と診察室で。「もうちょっと生きとろうよ」と言うと、後ろで息子さん、頷く。「そうかなあ」と志野さん。
年が明けた。「胸が苦しい」と電話がかかる。狭心症発作だ。舌下錠と点滴でおさまった。別の日「腹が張るう」。腸閉塞の前触れ。「桜咲くまでがんばろうか」と期限付きの励まし。息子さん、頷く。「見納めかあ」と志野さん。「うん」とも言えず、血圧を計る振りして場を凌ぐ。
病気の進行はゆっくり。桜は散った。「ホタルを見ようかあ」「見とうない」。狭心症発作、腸閉塞症状、がん性疼痛は、断続的に続いた。「逝きたい」のたびに、「海の日まで」「花火大会まで」「盆まで」と苦しい期日延期交渉。
夏になって、病気が進行。診療所に入院した。「ドーン」と花火が鳴った。屋上にベッドのまま上がった。夜空の花火を見た。それから急にやせが進んだ。「がんばれ」と息子さん。志野さん、小さな点滴で小さな息で、ゆっくり、ゆっくりと生き終えた。９月上旬の真夜中の３時半。
息子さんの車で家へ。家の前で車を止め、ぼくと息子さんは、小さくなった志野さんを抱き抱えた。背に温みが残る。蟹歩きして、居間の布団の上へ運んだ。懐かしのわが家。ご苦労さま。
家を出ると正面の東の空に、冬のオリオンが、大きく登場していた。
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