師走だ。教師も走る、医師も走る。往診に走る。ひと月に一回の往診の人もある。患家で一年間のまとめでもゆっくりして席を立たねば、と思いながら、腰が浮いて、足は次の走りへ向かおうとする。師走だ。まさにその時、半寝たきりの91才の末吉じいさんが、居間のベッドで声を放った。「こんな質問、先生に失礼ですが、わしあとどれくらい生きれましょうか」。浮いた腰を下した。「ご自身はどう思われますか」。軽い脳梗塞の既往があるが、血圧も血糖値も最近はいい値だ。薬をきちんと飲んでいる、と言うか娘さんが飲ませてくれている。二人暮らし。
「年内いっぱい生きて、正月迎えられたら、本望と思っとります」。何と謙虚な望み、とおもった。娘さんきょとんとしている。生命力は十分残っていると踏んで、「まだまだ、もっともっと、先です」と励ました。「でしょうか」と言って、末吉さん、続けた。「国民の使命として、東京オリンピックは見たいですなあ」。今度はぼくがきょとんとなった。娘さんが「えっ、東京？ 来年のリオデジャネイロのこと？」と聞き返した。「違う、東京！」。娘さん、指を折った。「５年先ということはお父さん、96だよ！」。
末吉じいさんには姉がいて、３年前91才でなくなり、亡くなる時「お前は私より長生きして欲しい」と言ったのだそうだ。姉越えするにはあと八ヵ月生きねばならない。「なかなかの人物なので、もう少し生きればと思う」と末吉さん。「あきれた、自分でそんなこと」と娘さん。末吉さん考え直して、「まあ、人並みでいいです」。「人並みは、とおに越えとるがあ」と娘さん。三人で笑った。希望の寿命はあっち行ったり、こっち行ったり、師走さながら。
「よいお年をー」と、玄関戸を閉め、次へと向かった。
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