｢何食べる？桃？西瓜？ブドウ？｣。仕事帰りの長男ががんの末期の64才の母に、やさしく聞く。「ス、イ、カ、」。「買ってくる」と息子。たまたま病室の前を通りがかったぼくは｢厨房にありますから｣と長男に伝える。
猛暑のこの夏、元気な人も口が渇く。黄疸が出て、食欲をなくした人にとっては、冷たい一滴のしずくは宝物。西瓜には、懐かしく、甘い水分が貯蔵されている。厨房へ下りていった。
子供のころ、西瓜は夏の大御馳走。長屋の共同井戸にぽちゃん、と浮いていた。隣りの家の西瓜であっても、午後には数切れの西瓜が皿に乗って届いた。ちょっと離れた町に、親戚の古い家があった。大きな家で、山から冷たい水が裏庭の貯水槽に流れていた。そこに西瓜がぽちゃん、と浮いていた。おばさんが大きな包丁でバサッと切った。赤だったり、黄色だったり。鮮やかな色。おいしかった。おばさんち、お金持だったので扇風機が回っていた。
今ごろの西瓜は、糖度12度とか表示され、三日月みたいに並べられたり、もっと小さくカットされ、原形が不明で風情からは遠い。あのころ、他には甘いスイーツもないし、山水でゆっくり冷やす時間はあるし、西瓜は生き生きしていた気がする。センター試験みたいに糖度を争うことはなかった。自分で決めればよかった。「うん、甘い」、それでよかった。
もらった大きな西瓜の半分が厨房の冷蔵庫にあるはずだった。探したが見つからない。事務室の冷蔵庫だったか？あった。病室にそのまんまを届けた。患者さんはベッドに腰掛けていた。看護師さんがスプーンで真ん中のまっ赤で柔らかいところをすくった。「オイシイッー」。４匙で「もうイイヨ」。彼女の中に半世紀以上前の、田舎の光景が甦ったように思えた。
|
