50代の男性ががんの末期を迎えた。がんが反回転神経を圧迫し、嗄声となった。声は日に日に弱くなり聞き取りにくくなった。彼はチラシの裏に、ボールペンで書いた。「そら が みたい」。
早春である。くもった日も風の強い日も寒い日もある。何とかベッドのまま屋上に出れる日はないかと狙った。青空が見える春うららの日が来た。ナースと助手さん、鍼灸師に作業療法士に奥さんと息子さんが、そうれっ、と彼を屋上に運んだ。彼は空を見て、笑顔を浮かべた。
「くる しい もう おわり に」。空を見た日の夜、チラシにそう書いた。病状が進行したあとも前向きな姿勢を保っていたのに。息子さんと奥さんと、皆でカンファランスルームに集まった。息子さん、「父の希望通りでいい、と思う反面、少しでも長く生きて欲しいという、両面があります」と正直に。「今夜ぼく泊まります」。話し合いはもうそれで十分だった。新たな鎮静剤の使用はせず、今までの睡眠薬の服用、ということになった。息子さん自身が鎮静剤だろう。
その翌日は、奥さんと息子さん、二人が泊まることになった。血圧は下がった。脈も触れにくくなった。またカンファランスルームに集まった。息子さんが、父からの伝言を教えてくれた。英語でチラシの裏にミミズのような字で書いてあったそうだ。患者さんは塾で英語を教えていた。「study hard,but enjoy your life」（学べ、そして人生を楽しめ）「your life is yours」（君の人生は君のものだ）。かすかな声で、「人を思いやる心も大切に」と伝えたと。
死を前に、父が息子に伝えたいことを言葉にするのは、難しい。彼はそれをやり遂げた。翌日の温かな春の日の朝、母、弟も加わった家族に見守られ、穏やかな顔で、崇高さを残し、旅立っていった。
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