「ロックンロール」が口癖の内田裕也さんによく似た男性が外来に通ってくる。70才。音楽が大好きで、郊外の「道の駅」で日曜日、電子キーボードで懐メロ、演歌、唱歌にジャズにロック、なんでも演奏する。月曜日、94才の母親の手を引いて、診察室に入ってきた。「ささあさばあさま、先に診てもらおう」とばあさまをていねいに遇する。
ばあさまは小柄。そのばあさま物忘れが進んでいるそうだ。食べたことも忘れるそうだ。足が腫れ、トイレに行くと息切れして、時々失禁して、夜中にわけ分からんこと言って、「あんたどなたさん？」と息子に向かって言ったりするそうだ。
「困られますか？」「いや、デーサービスで助かってます。施設いれずわしが家で見ます」「何か薬要りそうですか？」「齢ですしこのままで」。
診察した。呼吸の音もきれい、足のむくみもない、血圧も正常。「昔はどんな仕事されてました？」と耳元で大声で聞いてみた。「わしゃ耳はええです」と笑って、「米と牛でした」。「牛のことよう覚えとったな、ばあさん。呆けが消えたみたいだ」と息子さん。「乳搾るでしょ、わしが搾ると牛がようけ乳出して。主人が搾るとちょっとしか出さん」。「コツがあるんですか？」とぼく。「やさしゅうにです。主人は乳牛を引っ張ったり、棒で叩いたり、蹴ったり。あんなことされたら牛だって怒りますわ」とばあさん。「何頭？」「10頭」「名前は？」「ありゃしません、牛ですけえ」「においのことで苦情が出て、やめて」。「あの頃は良かった。わしまだ、主人のとこには行きとうない」とばあさんの顔、生き生き。「こんな顔、家じゃ見れんわ。こりゃわしの方が先に逝くわ」と息子はぼやく。
牛も老人も、遇され方次第である、と短い時間のうちに教わった。
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