晩秋の夕暮れの回診。「ああ、先生か？」と老女。「悲しい、もうすぐ死ぬだろうぅ」と手を握る。ぼくは握り返す。「寂しいで死ぬのは」と続く。「生きとりたいなあみんなと」。近々挙式のある、孫娘の結婚式への出席は無理と分かり、孫娘は診療所に来て、ミニ・ウエディングドレスを着て、病室で花嫁姿を老女に見せてくれた。一瞬というか、ニ瞬、三瞬戸惑った老女は、「ああ、みっちゃんかあ、綺麗だよ」と呟いた。
その日から３週間が経ち、県外在住の息子がこまめに会いに来てはくれたが、病室にぽつんとひとり、の時間が多くなった。
「死んじゃったら何ものうなる、おしまいだ」と、握った手に力が入る。「痛みは、今ない」とも言う。がんの痛みが薬でやわらいでいる。「痛まんのは有難い、でも死ぬだろう？切ないなあ」。胸水も溜っている。酸素吸入が必要なのに、カニューレはいつもはずれて枕元。「死ぬなんて、情けないなあ」。
老女は難聴。「死ぬような気がするの？」と聞くと、「えっ？」と聞き返す。大きな声で聞き返すと「ええっ？」と大きく返ってきてエンドレス。声が廊下に漏れる。止めとこと思った時、「なんぞ旨いもん食いたいなあ」と老女。誤嚥もあって、一時絶食中なのだ。「うな丼？ちらし寿司？」と聞くと、首を横に振る。「旨いもん、なんでもええ」。夕方の７時前だ。
厨房に走って降りた。「なんぞ旨いもんない？」夕食の下膳も済んで、厨房はきれいに片付いていた。「味噌汁なら」と若い調理人さん。さっそくに、湯に味噌に出汁に刻みネギに。あったかいお汁ができた。スプーンで口元に運んだ。ぱっくりと口があく。「おいしい。おいしいわ」と老女。ネギを上手にペッとし、お汁だけごっくん、ごっくん。「おいしいわー」。
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