入院ベッドがある有床診療所で働いているので、時々当直がある。12号室の咲さんは、80才で乳がんの終盤期を過ごしている。元々は在宅で過ごすことを望んでおられたが、認知症症状を生じ、家族も少し疲れたというので、一週間のお預かり入院となった。家族に休息をという意味の、レスパイト入院。
乳がんは、がんの中では、長期生存の可能性が他のがんに比べると高い。スピードの速い場合もあるが、骨に転移したあとものんびりと経過する場合もある。咲さんも、骨や皮膚に転移・浸潤があるのに穏やかに経過してきた。最近は、家にいるのに「ここはお寺。家に帰りたい」と言ったり、「ほらガラスコップの中で子どもたちが遊んでいるでしょ」とレビー小体認知症を生じ、そちらの方ががんを追い越していく。老弱も加わり、寝たきりになられた。
昼間はウトウトしているのに、夜になると目が醒めゴゾゴゾされる。夜10時を回ったので、「これ、飲んどきましょうか？」といつもの睡眠薬を二個渡す。「いりません、あなたがどうぞ」と押し返された。困った。当直医としては、咲さんに夜は寝て欲しい。「じゃあ一個ずつに」と言うと、「それならいいですよ」、だった。「お茶はいや、ヨーグルトで」と冷蔵庫を指差す。スプーンで口元に運ぶと、ごっくんとして、「おいしい、あなたも」と咲さん。同じスプーンでいいのか、と迷ったが、ペロリと舐めてみた。なかなかおいしい。そうだ睡眠薬を半分にしてヨーグルトに混ぜよう。すると罪悪感が湧いた。「おいしい」。罪悪感が余計に増す。ぼくの分も混ぜた「おいしい」、罪悪感さらに増す。
夜中２時すぎ、診療所がグラグラッと揺れた。瀬戸内海震源の地震だった。12号室に行ってみると、咲さん、寝息たてていた。
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