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野の花のあったか話



   第二回 救急隊員の一礼
 



 「救急隊から電話でーす」。慢性呼吸不全で在宅酸素療法をしている75才のNさんがデーサーヴィスで入浴中に倒れた。「心肺停止状態ですが、どこに搬送しましょうか」。「うちで引き受けます」と答えた。Nさんは20年前に肺がんの手術を総合病院で受け、その時以来担当させてもらっている。トイレで用をたすだけで著しい呼吸困難を生じる。基礎疾患の間質性肺炎が進行し、血中の酸素濃度は正常人の半分。なのに気分は倍明るく、「大丈夫」の連発。心肺停止、ありうることだった。

 処置室で待った。連絡を受け、奥さんがやってきて、号泣している。救急車到着。若い4人の隊員が心マッサージと、気管内に挿管したチューブにバックで空気送りながら処置室に入ってきた。心電図モニターに脈が写っている。心停止じゃない。「車内で心マ中、脈が戻って来ました」と真剣に若い隊員。血管確保し、強心剤、ステロイド剤を指示した。自発呼吸は戻らないが、触れてなかった脈が触れ始めた。これなら総合病院の集中治療室がいい、と判断した。「どうぞ」と旧知の勤務医が引き受けてくれ、Nさんは再び救急車に戻った。出発しようとすると、心拍が急速に落ちる。再び脈は触れない。決心した。ぼくの診療所の病室で看取ろう。奥さんも、到着した娘さんも「それがいい、ここがいい」。健闘してくれた若い隊員に変って病室で私たちが心マと人工呼吸をした。静かに全てが終わっていった。孫娘も来た。Nさんは家族に囲まれた。

 抜管した。看護師がお別れのお酒と綿花を用意した。「ごめんね、じいちゃん」と孫娘。「ご苦労さん」と娘。残っていた一人の若き救急隊員にお別れをお願いした。初めてとのこと。手袋と帽子を取り、口を拭き、深々と一礼した救急隊員の後姿が、尊く見えた。





この原稿は、朝日新聞鳥取県版連載の『野の花のあったか話』(徳永進)のオリジナル原稿を、サイト収蔵保存のため再録したものです。

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