徳永進_エッセイ

野の花の人々



第５５回　忍者ハットリくん




	ラウンジでピアノ曲が流れる。久しぶり、と思って足が向いた。カウンターに二人の先客があった。七十歳の乳がん末期の服部波子さんのお孫さんで、小五の一平君と小三の奈美ちゃん。ボランティアさんが出してくれた紅茶とクッキーを前に、じゃれ合っていた。「宿題は？」と聞くと「済んだ！」と元気な明るい声。でも二人、波子さんの病室では神妙な顔。「おばあちゃん、呼んでも返事せん」と暗い声。　　二人にとって波子さんはおばあちゃんでもあり、お母さんでもある。一平君が二歳、奈美ちゃんがゼロ歳の時、ほんとのお母さんが病死。四十九日の日にお父さん、他界。以来、母親代わりになり、二人を育てた。三年後、こともあろうに、波子さん自身が乳がんとなる。そんなこと構わず、黙々と育児を続けた。　診療所に入院した二カ月前から、二人は学校と診療所の掛け持ち生活になった。泊まり込みの日も続いた。尿が出ず、波子さんの血圧は下がった。死が近づいた。小学生に大切な人の死が近づいていることを受け止めることができるか、と迷ったが、二人の自然児のようなしぐさに誘われ、つい、言葉が流れた。　　「おばあちゃん、もうすぐ亡くなる。でも、亡くなっても星や木や草になって、二人を見守ってくれると思う」。二人は泣かない。慌てない。真っすぐに、澄んだ目で見つめ返す。「何か聞きたいことは？」「いえ、ないです」と一平君、澄んだ声で答え、妹の手を取って病室に走った。　　下顎呼吸が始まった。脈が触れない。親類の人たちが駆けつけて、病室はいっぱいになった。いよいよの時が来た。「おばちゃん、息してー」「おかあさーん」「おばあちゃんおばあちゃん！」。泣きじゃくりながら、二人は波子さんの手をしっかり握っていた。　　死化粧が始まると、二人は枕やいすを片付け、ラウンジでかき氷を作って食べていた。葬儀屋さんが迎えに来ると、波子さんが乗ったストレッチャーの前方の引っ張り役に変化。次は霊きゅう車の波子さんの横の席に二人で忍び込み座った。　　小学生に死はどう映るのだろう。藤子不二雄(A)さんの「忍者ハットリくん」のようにくるくる変わる二人、分かっていないかのようで分かっている。大切なことのすべてを、子どもたちは身体と心をレーダーとし、察知し、承知している。澄んだ目がそう教える。服部波子さんの死で荒海に泳ぎ出た二人を、私たちはどう支えられよう。
















	★この原稿は、社団法人共同通信の「医師の目・人の目　野の花の人々」（徳永進）という配信原稿を、サイト収蔵保存のため再録したものです。

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