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第２０回 オシメの東さん |
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郡部の病院の女医さんから電話があった。「筋萎縮性側索硬化症（ＡＬＳ）の患者さんで、呼吸器も胃瘻（胃に直接栄養補給）も拒否されていて、お酒飲みながら死にたいっておっしゃるんです。いいでしょうか」。「どうぞ」と答えた。東友二さん、八十二歳。言葉は不自由だが、食べられる。左手は弱いが、右手の力は十分ある。
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受け持ちナースの司会で、病室で人生を聞かせてもらった。｢ワタクシハ、ケンキョウノムラニ、ウマレマシタ｣。所々聞き取りにくかったが、だいたいは分かった。
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戦時中、軍隊で殴られたし、多くの親友が死んだ。戦争はよくないが、日本男児としての信念を教えられた。いい人間は全部戦争で死んだ。これからの日本、心配だ。誇りは、戦後、電電公社で誠心誠意働き、いい部下に恵まれたこと、と笑った。死は覚悟できている、延命の必要なし、で会は終わった。確固たる意思を持った日本男児、だった。
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夕食時の水割りウイスキーが唯一の楽しみ。でも病状は進行し、一人でベッドサイドトイレに立てなくなった。町の桜が終わったころ、県境の町の川沿いの桜並木が見ごろを迎える。「イエハイイ、デモサクラニワカレヲ」。車で助手さんと県境の町へ走った。東さん、ポケットサイズのウイスキーをちびちび飲みながら、長い桜のトンネルを走り、別れをした。
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病状はさらに進行した。体は一層動きにくくなった。「ソロソロサイゴニ」と真剣な顔で訴えた。ぼくも真剣な顔。
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四月下旬の夜中、ナースコールが鳴る。当直ナースが尿器で採尿すると｢オシメノヒト、ナンニン？ジブンデタベレンヒト、ナンニン？｣と東さん。｢なんでそんなこと聞く？｣と当直ナースは返した。
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自分でおしっこの始末もできず、自分で食べられず、すべて人の世話になるのはプライドが許さん、死にたい、と東さんは答えた。ナースは優しい声で言った。｢東さんのプライドも大切にしたいけど、家族や私たちにとって、オシメした東さんでも一日でも長く生きてほしい｣。東さん、突然泣きだした。「アリガトウ、イエニカエッテミタイ」。翌朝の申し送りでこの話を知った。医者のぼくの前では起こり得ない出来事だ。
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意思は変わる。確固とした意思さえ変わる。考えてみた。おそらく｢本人の意思｣は自分の所有物と考えやすいが、本来、他に帰属する部分が多いのではないか。
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★この原稿は、社団法人共同通信の「医師の目・人の目 野の花の人々」（徳永進）という配信原稿を、サイト収蔵保存のため再録したものです。
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