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野の花の一日



   第60回 友だち


 立春が済んだ穏やかな日曜。見舞客で診療所、にぎわう。「先生、河野さんちの恵ちゃんと麻衣ちゃんにお母さんの病状の説明、お願いします」と看護婦さんが言う。
 恵ちゃん、中三、麻衣ちゃん、小一。三十七歳の河野えりさんはがんの末期。一分当たりの呼吸数四十、脈拍百六十、重症。子どもたちに十分な説明がまだできてなかった。ぼくは、台所の前の仮設の家族室へ。
 そこには、二人のお子さんのほかに男の子がいた。麻衣と枕投げし、クッション遊びしている。
 「親せき?」と聞くと「いいえ」と前歯二本が抜けたばかりの麻衣。男の子「違います」。「友だち?」と聞くと「うん」と男の子。「うん、さっきから、そこで会った」と麻衣は廊下を指す。
 「何年生?」「一年」「私も」「名前は?」「高井健」「私は河野麻衣」。入院中の高井初江さんとこのお孫さんで、見舞いに来て、麻衣と友だちになったんだ。 先生が大事な話をするから、と言うと、健君はラウンジの隣のおばあちゃんの病室へ戻っていった。
 「とても状態が悪く、一日二日以内で、お母さん、死んじゃうと思う。だから、お部屋にいて、手握ったりしてあげて」と説明すると、お姉ちゃんはうなだれ、涙を浮かべ、麻衣ちゃんは「はい」と返事した。
 病室で「お母さん、お母さん」と言って手を握って麻衣は廊下に出た。廊下の向こうに健がいた。「先生、何って言った?」と健。「一日二日でお母さん死ぬ、って」「ほんと?」「ほんと」
 子どもって不思議だ。どうなのかは分からないけど、すうと流れていくものがある。二人は広い廊下を走り回っていた。健が鼻血を出した。診察室で診た。付き添いは麻衣。軟こうのついたガーゼを鼻の奥に詰めた。
 「痛い?」「へっちゃら」と健。処置は無事に終わった。「治った?」と麻衣。「治った」と健。突然、「先生、おばあちゃん、うどん何本まで食べていいんですか?」と健。
 高井さんは腸閉塞を併発していて、ぼくは「うどん、五本まで」と命じていた。「十本食べたらいけん?」と健。「たった十本?」と麻衣。「どうして?」とぼく。
 「ぼく、おばあちゃん好きだもん。ぼく、おばあちゃんっ子」と健。「わたし、お母ちゃんっ子とお父ちゃんっ子」と麻衣。「行こう」と二人。二人は診察室を出て、それぞれの病室に走った。


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この原稿は、社団法人共同通信の「医師の目人の目 野の花の一日」(徳永進)という配信原稿を、サイト収蔵保存のため再録したものです。連載タイトルと毎回のタイトルは、サイト独自に付す場合もある旨をお断りしておきます。

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