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第４２回 古時計の思い出
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平井堅さんが歌う<大きなのっぽの古時計おじいさんの時計…>は声が天にまで届く感じがして好きだ。
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この曲のルーツを探して、彼がアメリカのマサチューセッツ州グランビーまで訪ねているのをテレビで見た。このうたは死という絶対的な悲しみが根底にありながら人々の心を喜ばせている曲だと思う、という彼の言葉が心に残った。
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ぼくの診療所でも最近は彼の「古時計」がよく流れている。この曲で思い出すことがいくつかあって、ひとつは古井のおじいさんのことである。
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八十六歳で古時計みたいにのっぽだった。がんの手術をしていてリンパ節に転移はあったけど、がんはおとなしく、おじいさんは元気だった。
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近くのスーパーに、つえをついて買い物によく行った。写真が好きで入院中の人たちをよく写した。誰もが患者さんとは思わない。火曜の午後のお茶会も、お誕生日会も、桜ツアー、ホタルツアー、診療所のすべての催しの常連だった。集うと、五、六十年前の鳥取の街並みやお店、食べ物のことなど得意げに語った。
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入院して季節が二つ巡った。「ここがいい」とおじいさんが言ったが、退院をお願いした。しぶしぶ、おじいさん、承知した。
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思いがけない事件が起こった。退院二日後、おじいさんの家が全焼した。片付けた家のゴミを焼いているうちに、風向きが変わり、家に火がついた。おじいさんは、遠くの老人ホームに特別措置入院となった。退院を迫らねばよかったと、ぼくは後悔した。
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励ましに行くと「やあ」と食堂から出てきて、ボソッと「わしも一緒に焼けとりゃよかったですのに」。
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そのころから古井のおじいさんの体重は減り始めた。火事のためかと思っていたら、肝臓が大きくなってきた。転移だった。
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ぼくの診療所に戻ってきてもらった。転移巣は見る見る大きくなり、黄疸が出現した。あれだけ元気だったのに、古井のおじいさん、ほんとの病人に変わった。家族の皆に見守られるなか、死は訪れた。
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ラウンジでお別れ会をした。いつも皆でうたを歌うのだけど、この時のうたが「古時計」だった。<大きなのっぽの古時計、おじいさんの時計…天国へのぼるおじいさん、時計ともお別れ、いまはもう動かない>
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絶対的な悲しみの向こうに何かを、古井のおじいさんもぼくたちもつかみたい。
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★この原稿は、社団法人共同通信の「医師の目人の目 野の花の一日」（徳永進）という配信原稿を、サイト収蔵保存のため再録したものです。連載タイトルと毎回のタイトルは、サイト独自に付す場合もある旨をお断りしておきます。
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