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第３２回 満月ツアー
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仕事すると疲れる。誰もが疲れる。仕事してない人は？きっと疲れる。仕事がないことに疲れる。
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寝れば疲れが取れるころは、きっとまだ若かったのだろう。寝ても疲れが残る年代となった。誰か中高年にも効く、「疲労回復に×××D」を発明してくれーと言ってみたくなる。
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誰もが自分流儀の疲労回復法を持っていると思う。ぼく？、ぼくは夏なら何とか時間を見つけて、日本海にポチャンとつかる。岩場にしがみついて、小指大のイガイを採り、波の間に浮き、北の方や真上の青空の方を向いて深呼吸する。魚になった気になる。
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家に帰ってイガイの吸い物を作る。でもそんな時に限って、漁村に住む患者さんが手拳大のイガイを届けてくれたりすることがある。ぼくはくじけず、ぼくの小指大のイガイに固執して食べる。潮のにおいと味が広がる。疲れは消える。
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普通の日？これは難しい。青空に白い雲がきれいだった先日、疲れが残っているのに、往診に行かなくてはならなかった。よしっ、と決心して、診療所の外階段を駆け上がって、屋上に出た。
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屋上からは久松山が見える。鳥取市の街並みが一望に見渡せる。上には青空が広がっていた。よく見ると高度差で北へ流れる雲と、南へ向かう雲が交差していた。すれ違う雲がしゃべり合っているようだ。思いっきり深呼吸した。疲れが少し減った。
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これまた先日のこと。東の空に赤い満月が顔をのぞかせた。入院中の岩田さんにその月を見せてあげたいと思った。岩田さんは寝たきり、満月を見る回数も残り少ない。
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夜八時、病室からベッドが出ていた。満月ツアーのメンバーは夜勤の看護婦さんと岩田さんの奥さんとぼく、それに岩田さんの四名。エレベーターに乗って屋上行きのボタンを押す。所要時間十秒。エレベーターの戸が開き、屋上の戸を開けると、ベッドのまま屋上に出られる。
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正面に赤色の満月。「きれい、月を見るなんて何ヶ月ぶりでしょう。疲れがふっ飛びます。ありがとうございます」と奥さん。「見えますか？」と看護婦さんが聞いた。
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岩田さんは「見えます、赤い月が」と小声で答えた。岩田さんの疲れは飛んだだろうか。ぼくも大きな息をして、その月を見た。疲れが少し飛んだ。
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★この原稿は、社団法人共同通信の「医師の目人の目 野の花の一日」（徳永進）という配信原稿を、サイト収蔵保存のため再録したものです。連載タイトルと毎回のタイトルは、サイト独自に付す場合もある旨をお断りしておきます。
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