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第２４回 「さ」「さ」
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中山望さんは六十五歳。障害者の施設に長年いた人で生涯独身。去年の秋、体重が減るので、病院に出掛けて検査を受けたら、胃がんだった。
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早速外科に紹介され、即手術となったが、がんは既に肝臓と膵臓、胃の周囲のリンパ節、腹膜に転移していた。根本的な手術とはならず、今後とも絶食で高カロリーの輸液でやっていくしかないと外科の先生に言われ、ぼくの診療所を希望され、雪降る二月に入院された。小柄で短髪のおじさんだった。
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口数の少ない人で、「おはよう」と言っても、目であいさつされるぐらい。多くは首の上下、左右運動で意思表示された。言葉は、「眠れました？」と尋ねても「うん」、「少しならスープ飲んでみますか？」「いらん」、と最もシンプルな形のものが発声されるぐらいだった。
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たいがい病室の一人。高カロリーの点滴とテレビ、というこれもまたシンプルな病室風景だった。
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ある日、施設の友人たちが車いすに乗って訪ねてくれた。寝たきりの望さんがベットに座っていた。病室が明るくなった。帰っていったあとに、イヌやネコやクマさんの縫いぐるみが窓辺に置いてあった。
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別の日、望さんはきれいな丸刈り。だれにしてもらったのだろう。「誰に？誰に？」「看護婦さん？誰？」と追及。「ゆりこ」、だった。二十六歳のめい、別の病院で看護婦さんをしている。
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診療所のお茶会、花見会、聖神社のお祭り、「出てみる？」と看護婦さんが声を掛けた。望さんは首を横に振った。
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黄疸が出現。黄疸は増強。「体、しんどい？」「いや」。吐血。吐血少しおさまり、黄疸、さらに増強。
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応答はあるが、意識がボーとなり始めた時、訪室したベテランの看護婦さんに「さ」「さ」と言った。「さ？」「さ？」と看護婦さん。「さ」「さ」。「さゆ？」「さけ？」望さんはうなずかない。「さかな？」「さしみ？」。反応はない。「サクランボー？」「サッカー？｣。動じない。看護婦さん、心の中で思った。「さらば？」「さよなら？」だろうか。
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付き添っていた七十五歳のお姉さんがもう一人のめいの名を思いついた。「さちこか？」。望さんは大きくうなずいた。
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五月末、望さんは姉さん、ゆりこさん、さちこさんに見守られ、他界された。
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★この原稿は、社団法人共同通信の「医師の目人の目 野の花の一日」（徳永進）という配信原稿を、サイト収蔵保存のため再録したものです。連載タイトルと毎回のタイトルは、サイト独自に付す場合もある旨をお断りしておきます。
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