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第２３回 夏ツバキ
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五月下旬の日曜日、市内は一斉清掃の日。朝七時、町内会の人たちの話し声が道の方からする。女房が参加し、ぼくは寝床。それから起きてティーバックの紅茶を飲むと、台所の横、日陰の庭の夏ツバキが一輪白い花をつけていた。初咲きだ。
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十時すぎ、往診かばんに点滴ボトルを入れて、車で街を走る。ピンポーンと押して、勝手に患者さんの寝ている部屋の戸を開け「おはようございます」と声を掛けてみた。
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薄い布団が少し動き、細い足二本と二本の細い腕が布団から出た。「アッ、オハヨウゴザイマス」とやせてシワができた顔にニコッと笑みが浮かぶ。あいさつをする力、ニコッとする力に敬意を覚える。
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小山加奈さん、五十八歳、乳がんで骨転移を生じ、最期の日々を自宅で過ごしている。家は小さな喫茶店。ご主人と二人で営んできた。客がいない時、ご主人は、居間に横たわる加奈さんの世話をする。
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「食べてみたいなあ」と一ヵ月前に加奈さんは言った。トビウオの刺し身だった。お姉さんが料理してきた。「カレギを刻んだトビウオのみそ汁を一口吸ってみたい」と加奈さん。「鳥取は魚も鳥になって飛ぶんよね」と言いながら、姉さんが口元に運んだ。「おいしい、もういい」
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あれから、もうほとんど食べられない。「センセイワタシ、モウエエデス。シタイコトハシマシタシ、タベタイモンモタベタシ、イウコトハイイマシタシ」
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「ありがとうございます。またどうぞ」とご主人が、帰っていくお客さんに一声掛けた。ご主人は障子を開け、コーヒーの香が流れてきた。お姉さんが買い物から帰ってきて、加奈さんの背や足をさすり始めた。
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「ご主人にも言いました？」と尋ねてみた。「イイマシタ。カノジョハツクッテモイイケド、ウチニハイレタライケンデッテ。オチャノミトモダチマデダヨッテ」。ご主人、苦笑い。「そんな心配せんでええけ」とお姉さん、あきれ顔。
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点滴はゆっくりと落ちてゆく。「スイノミ、コボレテ、シュジンニ、シカラレテ」と握力がなくなった加奈さん。加奈さん宅で、こぼれない100ccくらいのネジブタ付き容器を用意すること、という宿題を与えられた。夕方に来ますと約束して、あとの二人の患者さんの家を回った。
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家に帰ると昼の二時。台所で遅い昼食。見ると白い夏ツバキ、二輪目が咲いていた。
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★この原稿は、社団法人共同通信の「医師の目人の目 野の花の一日」（徳永進）という配信原稿を、サイト収蔵保存のため再録したものです。連載タイトルと毎回のタイトルは、サイト独自に付す場合もある旨をお断りしておきます。
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