|
|
第１８回 ジョベタンが笑った
|
|
|
|
|
「コーヒーにしようかな」
|
診療所の一階、玄関を入って右に、ターラというレストランがある。ネパール語で「星」という意味。いつの日か、近所の一人暮らしの人たちがランチを食べに来てくれて、たまたまそこにいた高校生とおしゃべりをする、なんてことを夢見ているレストランである。今のところコーヒーと紅茶、ジュースしかない。
|
夕暮れに病室からターラに下りてきて、「コーヒーにしようかな」と言って、自分でコーヒーを入れたのは、一人暮らしの八十五歳の髪を紫に染めたレンばあさん。紅茶を飲んでいた、当直に入る看護婦さんに話しかけた。
|
「私って小さいときからずーと病弱だったの」。看護婦さんは驚く。入院中の患者さんのうちで、レンばあさんが一番元気で、ナースコールをじゃんじゃん鳴らす。でもそんなことを言ってはいけないので、「ほんとう」とうなずいている。
|
「ねえやがいたの」とレンさん。「お姉さんのことですか」と看護婦さん。「違う、ねえやなの。夕方になると、私悲しくなって、ねえやに、お医者さんに連れてってもらったの、毎日」「え？毎日？」。レンさんは一気にしゃべる。
|
「山田医院で、兄弟とも医者、医者が二人いたの。『ああ、またあんたか』とお兄さん先生は言ってね、弟に私を見せたの。私が弟の先生が好きって知られた。私は泣くの」「どうして」と看護婦さん。「理由は分からない。夕方になると悲しくなったの。そしたらね、その弟の先生が一緒に泣いてくれたの。『ジョベタンが泣くと先生も悲しい』って」「ジョベタンって、しょんべんたれっていうこと？」と看護婦さん。
|
「失礼ね、違うわよ。私、お嬢さんだったの。お嬢べえが変化したの。それで私、先生が泣いているのを見ると、おかしくなって笑ったの。そしたら先生、『ジョベタンがわーらった。ジョベタンがわーらった』ってほんとに笑うの。それで診察は終わり。注射も薬もなんもない。やさしいの先生。声も顔も。私は治るの。そして次の日の夕方、病気になる」
|
「では、」と看護婦さんは当直勤務へとターラを出る。レンさんは独り言を続ける。「私、小さいころから、お医者さんなしでは生きてこれなかった。これからだって、一緒に泣いてくれて笑ってくれる医者がなきゃあ、生きていかれないよ」
|
|
|
|
|
|
ご意見をメールでお寄せください。アドレスは次の通り。
|
nono_hana@nifty.com
|
|
|
|
|
|
|
★この原稿は、社団法人共同通信の「医師の目人の目 野の花の一日」（徳永進）という配信原稿を、サイト収蔵保存のため再録したものです。連載タイトルと毎回のタイトルは、サイト独自に付す場合もある旨をお断りしておきます。
|
|
|
