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第１４回 私、ここに決めました
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啓蟄(けいちつ)、風の冷たさがやわらぐころだ。がん末期の六十歳の女性を家から診療所に運んだ。CT検査が済み、フィルムが出来上がるまでの間、娘さんは女性を車いすに乗せて、二階の病室を見学。CTには、肺・肝転移、胸水貯留、胃および軟部組織への転移が描出されていた。
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「私、ここに決めました。家には帰りません。ねぇ」と、娘さんの方を向いた。娘さんも、うなずいた。一室空いていて、入院となった。
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ぼくは中心静脈ラインを確保し、たまっていた胸水を抜く。七百cc。内服モルヒネ剤を増量。酸素吸入を少し。輸血も少し。
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夜、CTと血液検査の結果を会議室で、長男と娘さんに説明した。「そんなに進んでるんですか」
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「楽になりました、先生」。笑顔だった。娘さんも笑顔。夜の病室。仕事が終って十時すぎ、長男は病室にやってきて彼女の背と、しびれている足をさする。娘さんもいての一家だんらん、病室が明るい。
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ガラスコップに花。彼女もピンクのパジャマ、あっ、きれいと思ったら化粧している。美人なんだ。でも、どうしてだろう。あの散乱した自宅の部屋での土色の苦もん顔が、どうして美人顔に変わったのだろう。
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彼女は死を覚悟していた、一人で、他人に迷惑かけずに、自立して死なねばならない、と思っていた。ここにきて、支えてくれる人がいると思い、自立死へのこだわりを放棄し、他力を許したのではないか。
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一週間がたったころ、尋ねてみた。
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「だんだん動けなくなって。子どもたちは食べろ食べろ、歩かにゃきゃあって。あのころ、洗濯も干せないし、ご飯も作れない。怠けているって、毎日がけんかで」。一週間前のことなのに遠い昔のように語る。
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「ここに来て楽になって、息子も娘もよくしてくれて。昔のこと、よく話すんですよ、そして笑う。旅行したことや、小学校のころのこと。家ではそんなこと、ひとつもなかった」
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時間が生まれて、娘さんが今まで聞かなかったことを彼女に尋ねたそうだ。「なぜ離婚したの」。娘さん十歳の時に彼女は離婚。生きているうちに、さびしくさせたわけを話しておきたかった。
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「なーんだそんなことか。もっとロマンチックかと思ったのに」と娘さんは言ったそうだ。彼女は笑ってそう話す。
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★この原稿は、社団法人共同通信の「医師の目人の目 野の花の一日」（徳永進）という配信原稿を、サイト収蔵保存のため再録したものです。連載タイトルと毎回のタイトルは、サイト独自に付す場合もある旨をお断りしておきます。
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