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第１３回 いいんです、私
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胃カメラ検査が終って診察室に戻ると、受付のさゆりさんが「お母さんの病気で相談したいと息子さんから、電話ありました。昼ごろにもう一度かけられるそうです」と報告した。
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急がなくていいんだろうかと思ったが、珍しく外来には、患者さんが何人か集まってくれていて、ちょっと追われるような診察をしているうちに、そのことを忘れていた。
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昼前に電話がかかった。「けさ兄が電話したと思うんですが、母のことで」と女の人の声。すぐに思い出したどころか、耳も口も受話器に密着した。
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「どうされましたか」「母、がんで最近、どこにもかかっていないんです。三日ぐらい前から食べられなくて弱っていて、点滴一本打ってもらえないでしょうか」
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「どこ？」と聞くと「打ってもらえます？かかってなくても？」「もちろん、どこ？」。セントラルホテルの前の川沿いを山に向かい二つ目の橋を渡り、駐車場横の幅一メートルの路地の突き当たりにある平屋、とのこと。
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電話を切って、点滴一本積んで直行、どこだろう。駐車場がいくつもある。ウロウロしていると「こちらです」と娘さんが道に出てきて家へ案内してくれた。
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質素な家。戸が閉まりにくい。こたつにもたれかかるように衰弱した女性がいた。髪は乱れ、顔色は土色、呼吸は速く、脈弱く、皮膚は著しい脱水状態。散乱した部屋、花一輪なく、ペットおらず、なつかしの写真なく、音楽流れず。
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「先生、私、がん。あちこちに、転移しているんです。肝臓に、転移したときは、手術受けたんです。肺に転移したとき、手術拒否したら、医者が怒って、それから、病院には、行ってないんです」。息が切れて途切れ、途切れに。
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「いろんなところに、転移して。いいんです、私。死ぬのは、いいんです。できたら、人に迷惑かけずに、一人で、死のうと思って、たんですけど、なかなか、スーと、死ねなくて」
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娘さんが「お母ちゃん」と言った。「娘は結婚してますし、お兄ちゃんは、帰ってくるのが、夜の十時。洗濯も、できないし、台所にも、立てなくなって」
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トイレへ、足を引きずりながら歩く彼女の姿を見てぼくは迷う。この家がいいだろうか。残された日は長くない。「インターネットで探したんです、先生の診療所」と娘さん。「母と一度そこに、と思って」
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狭い路地をつえと娘に支えられてゆっくり歩き、お母さんと娘はぼくの車に乗った。
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★この原稿は、社団法人共同通信の「医師の目人の目 野の花の一日」（徳永進）という配信原稿を、サイト収蔵保存のため再録したものです。連載タイトルと毎回のタイトルは、サイト独自に付す場合もある旨をお断りしておきます。
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